夢と詩情のアニマ

~プリズムの煌めきが生まれる場所、あるいはその墓場

最期のプリパラ待機ぷり

あと30分もせずに、プリパラが最終回を迎えてしまう。

とりとめもないことは言いたくないなどと、もうそんな場合ではない。

 

・・・少し、自分の話をさせてほしい。

 

思い返せば、なかなかの人生の転機でプリパラと出会って、そして坂道を転がるように浸食されてしまったな、と思う。

でもそれは幸せな時間だった、誓って!!

あの頃、ミュージシャンを志し、上京して、全然ダメで、友達も利己的な私に愛想をつかして、何もかも絶望して、実家に帰り、そのあと地元の音楽仲間とは割と仲良くやれて、少しばかりチヤホヤもされて、でも現実と憧れとのギャップが埋めがたく、認めがたく、お金もどんどんなくなったし、いい曲はできないし、理解もされないし、それでとうとう色々あきらめもついて、真面目に働くことにした。それが丁度2014年。

今までと比べて少し金銭的にも余裕が出来たし、もう夢とか大げさに言わないし、たまに演奏できればそれでいいか、それでいいよね、しょせんそんなもんだ・・・と折り合いをつけた頃、気付けばあと1週間と少しで30歳だよという焦燥の夏、まさにその時だ、プリパラに出会ったのは。

 

「みんな友達、みんなアイドル」

心底ため息が出たね。嘘だねって思ったよ。

友達も、アイドルも、遠い世界の概念だと思っていたから。

そうだ、認めるよ。

私はそれが欲しくて欲しくて、たまらなかったんだ。

世界に私の居場所を見つけたかったんだ。

でもプリパラは別に私に居場所をくれたわけじゃない。

既に大人になっていた私には、その世界は眩し過ぎたし、理想を語りすぎたし、

好きになればなるほど、渇望すればするほど、もう届かない夢だと思い知るばかりだった。

パックに捕らわれていた夢、その中に確かに私のかつて抱いた夢もあったような気がしたけれど、でもそれはもう戻ってこない。今更、戻ってきたところでどうしようもない。だからそれは空に預けた。それでいいと思ってるし、私は十分救われた気がした。

プリパラは私にとって、いつだってそんな、自分の居場所のなさ、何処にも行けなさを思い知らせてくれる世界だったんだ。現実の世界以上に。・・・それってちょっと問題ありだなと自分でも思うけれども。

 

そしてプリパラが終わる今、私は未だ何者でもない。

友達と呼べる人が増えたかどうかは疑わしい。

アイドルには、もちろんなれていない。

けれど何かが違っている気がする。

いや、違っていなければならない。

それが、それこそが、3年9か月プリパラを見てきた意味だ。

明日からの自分が生きる世界が、新しい夢なのか、夢の続きなのか、それとも本当の終わりなのか・・・分からないけれど、大丈夫だ、私は世界を好きになる事ができる。

それをプリパラは教えてくれた。

 

 

 

ああ、みれぃ、もう一度、もう一度だけあの言葉を言ってくれ。

そしたら絶対に返すから、きっと大丈夫だと返すから。

 

「プリパラは好きぷり?」

 

大好きだよ。ありがとう。